【コラム】えっ?行政書士業務の将来性?

こんにちは。新潟市中央区、トマト行政書士事務所の菊地です。

先週まで、「AIは脅威なのだろうか」というタイトルで、いろいろな角度から、3回続けてAIについて今の時点で知っていることと思っていることを書きました。
ブログとして掲載する前から、珍しくFacebookで「AIについて書くよ!」と予告していたせいか、思ったよりも反響がありました。ありがとうございます。

行政書士業務の将来性?

「AIについて書いた」
なんてわざわざ予告をしたせいか、「行政書士業務の将来についてどう思うか」ととある人から聞かれました。

そのときは、さぁどうでしょうねぇとお答えしたら、誤魔化されたと思われちゃったようです。
ゆえに、ここでハッキリとお答えしましょう。

分かりません。

将来性が明るいとか暗いとか、みなさん何をどう考えておっしゃっているのでしょうか。
私には皆目検討がつきません。
本当に。
私には、今のような変化の大きな社会では、不可解な変数の種類が多すぎて、多変量すぎて複雑すぎて、とてもじゃないが解析できません。

エストニアと税理士のお話は参考になるようなならないような

例えば。
「士業の将来は暗い!」
という根拠として、エストニアという国の例が挙げられるケースをよく見かけました。
この国は、確定申告はボタン1つで完了。
預金口座から税金を支払われ、支払も終了。
電子国家などと言われています。

人口が少ないうえに、国家が樹立されたのが1991年。
トライアンドエラーを繰り返す土壌がある(歴史が浅いのでいろいろなことに挑戦せざるを得ない)。
さらに言えば、この国は独立して国家成立となったわけですが、再び国土が失われたとしても、国家そのものは存続するようにしたいというもくろみがあります。
つまり、電子国家として存続を図るというわけです。
そんな国ですので、手続きを可能な限り簡略化し、人々の経歴から財務状況から何からを可能な限り透明にしています。
人を雇うにもボタン一つで可能な状況だと聞いています。
個人の証明書は当然、IDカード等の電子情報を駆使。
過去の経歴から何から、全て電子データへ。

「手続きの簡略化」をするには、ここまでやりきらないといけないわけですね。
所有財産から経歴から何から全部を透明可視化してはじめて、手続き簡略につながるということです。
決して、「楽ちんで幸せ」なだけではありません。
過去の経歴から何から、全てがデータ化され保存されるのです。
つまり、あなたの忘れたい過去や、隠しておきたい病歴も、データ化されるわけですね。エストニアの場合は、情報を開示するかどうかある程度選択できるし、情報へアクセスした履歴を確認することができるそうですが。

手続きを簡略化することで、公務員を減らし、電子決済だから現金の製造を減らす。
エストニアという国は、島が多いので、島の行き来のコストを考えると電子化を進めるのが一番だった、という事情もあります。
何せ、インターネット接続が国民の権利となっている国です。
そのぐらい徹底しないと、国家が存続するための最低限の人材に、人を回せないらしいですよ。

「だから日本も将来ああなる!!」
というのは、暴論です。
いや、ある意味では買いかぶりかもしれません。
そこまで手続きを簡略化することが、この日本でできるかどうか、疑問に思います。
エストニアは税制が非常に簡略です。
簡略だからこそ、AIなんてものが無くても、簡単に税申告を電子化できたのです。
そんなふうに、この日本で、できるのかどうか。

尤も、
「税制が複雑だからこそ税理士(ヒト)よりもAIのほうが優れているのではないか」
という意見もあります。それもまた、ゴモットモかもしれません。

とはいえ、話を元に戻しますと、

  • 実際に税理士が居なくなった国があるのだから日本もできるはず
  • あれが将来の日本の姿

という話は確かにゴモットモなのです。そのような国が実在するのですから。
しかしながら一方で、

  • 日本は税制度が複雑だから無理だろう
  • 日本はそこまでダイナミックな改革なんてできないだろう

という話もあります。こちらも一理あります。

  • いやいや、複雑だからこそ、ヒトよりAIのほうが優秀
  • むしろ、そのぐらいの改革がなされなければ、日本は完全に世界から取り残され孤立する
  • 日本はいろんな手続きが複雑で、時間がかかり過ぎる

これらのご意見もまた、一理あります。

ここで言う「一理あります」は、「話としては面白いし可能性はゼロじゃないね」という程度のことです。

大切なのは、少なくともエストニアでは現在既に、税理士が居ないということ。
そして、現在の日本には、税理士が居るということではないかと、私は思います。
もしも必要に迫られれば、AIの出現なんか待たなくたって、今の技術でも十分に、税理士という仕事を無くすことは可能なのです。実際にそうしている国があるのだから。
乱暴な話になりますが、税制度を抜本的に変えてしまい、優遇制度などはややこしくなるので全部撤廃して、確定申告は法人も個人もみんな利率を一定にして電子申告のみにする。紙の申告は廃止して電子申告を義務化。すると、非常にシンプルでコストのかからない申告になります。
でも実際は、そうなっていない。
それが全てです。

技術は要素の一つでしかない

AI化、ロボット化が実現するか否かを考えるときに、技術面は、要素の一つでしかありません。
数学的に説明すると、「技術面がクリアする」ことは必要条件でしかないということになります。

例えば、自動車の自動運転。
技術面として、自動車そのものに完全無人の自動運転性能を実現させることが必要です。
でも、それだけではありません。
例えば道路交通法。

第七〇条 車両等の運転者は、当該車両等のハンドル、ブレーキその他の装置を確実に操作し、かつ、道路、交通及び当該車両等の状況に応じ、他人に危害を及ぼさないような速度と方法で運転しなければならない。

完全無人の自動運転車両がもし実現したとしても、これが自動運転で公道を走ると、道路交通法第七〇条違反です。
現状では自然人である運転者が、ハンドルやブレーキを操作しなければなりません。
それ以外にも、自動運転車両が交通事故を起こしたときの責任はどうするのか、誰が責任をとるのか、といった問題があるでしょう。
それから、この自動運転車両は、どのようにして道路を認識するのか?
もしも、人間の視覚に類似した機能でスキャンして認識するのであれば、道路は道路と分かるような特徴が無ければいけません。
例えば、駐車場の入り口と道路は、どのように違うのか?
人はどうやって、道路と駐車場の入り口を区別しているのでしょうか。

自動運転技術や自動運転のトラックは、実現が期待されています。
高齢化が進み、トラックの運転手は、既に人手不足の状況です。
また、高齢者の交通事故を背景として、今後ますます高齢化するであろう世の中のために、「安全な」自動運転技術の実現が切望されています。
先日書いた記事で取り上げた「AIによる代替可能性(野村総研)」の研究では、タクシー運転手やバス路線運転手等は、可能性が高い職業として掲載されていましたが、現状はこのような状態です。

実際にAIやロボットが代替するには、想定どおりに技術発展が進むことのほか、さまざまな要素が重ならなければなりません。
自動車技術に限っていえば、需要があり、自動車メーカーという豊富な資金を持った開発者が居るので、経済面は恵まれているでしょう。
それでもハードルは高いのです。
まして、零細企業が多いような業種で、一体AIを誰が開発し、誰が利用するのか。
誰がそれを、維持できるのか。
私には、全然見当がつきません。
でも、もしかしたら、上手に維持できる方法が将来は見つかるのかもしれない……分からない要素が多過ぎて、何を推測しても妄想の域を出ません。

影響がどう出るかなんて全然分からない

どんなふうに開発されていくか予想がつかない、AI。
「技術的には可能!」
と推定されていたとしても、その技術が実現するかどうかは、分かりません。

まして、そのAIが、どういう影響を及ぼすかなんて、見当もつきません。

前にも書きましたとおり、携帯電話が出現する前(子どもの頃と言い換えてもいいでしょう)、私はサンダーバードやドラえもんを見て、未来はとっても便利なんだなぁと思っていました。
そのうちに、電話を持ち歩ける技術が実現して、私は大学生のときに初めて携帯電話を持ち、パソコンを持ち、家にインターネット回線をつなぎました。
どこでも話せて、顔を会わせたことの無い世界中の人と自宅でつながることができて、夢みたいだと思っていました。
そんな頃から、20年。
いまや、あの当時のパソコンよりもずっと小さなタブレットが、あの当時のパソコンよりもずっとずっと能力が高くなっています。
そんなものを、持ち歩けるようになっています。
でも、それがヒトに及ぼした影響は、必ずしも、ヒトを幸せにするだけではないようです。
スマホやPCによるネット依存は深刻な問題となっていて、TV等でもたびたび取り上げられているし、複数の病院で専門外来ができているほどです。
でも、そういうところに通えない状態の方もおられるでしょうし、こうしてマスメディアで取り上げられていることなんて氷山の一角。事態は恐らく、非常に深刻なのだろうと思います。
SNS等が人格形成に影響を及ぼすという話もあります。

そんな「病気」とまではいかなくても、都内の通勤電車を見れば、満員でぎゅうぎゅうに詰め込まれている状態で、みんながうつむいてスマホを弄っています。
観光地へ行っても、とても景色の良いところなのに、みんな周りを見ることもなく、老若男女がぞろぞろ揃ってスマホを覗き込んでいました。ナントカいうスマホのゲームのスポットなんだそうです。
ゲームをやっている人には当たり前のことかもしれませんが、風光明媚な観光地へ行って、周りを見ることなくスマホを見てそのまま帰るなんて、異様な光景としか思えないのです。

それって幸せな状況ですか?
私には、分からないです。
何せ、そのゲームをしたことがないから、風景を見るのとどっちが幸せなのか、比べられません。
でも、ゲームに限らず、依存してのめりこんでいく最中は、きっとシアワセなのでしょうね。それが、長い目で見たときの幸せになるかは、分からないけれど。

ものごとが革新的に進化するとき、それがヒトを幸せにするかどうかなんて、分かりません。
技術など、ものごとの進化は、基本的にはヒトを幸せにするために行われているはずですが、それでも、本当にヒトを幸せにするとは限りません。
予想外の影響が出てきます。
どういう角度からどこに影響が出てくるかなんて、想像できません。
電話の進化、通信技術の進化だけを見ても分かるとおりです。
だから、今の技術の進化が、行政書士に限らず、将来世の中にどう影響するかなんて、私には分かりません。

物事が大きく変革するときは、中長期的に計画を立ててもあまり意味がないし、不安がっていてもしょうがないと私は思っています。
そんなことよりも、今まで同様、今抱えている仕事をきっちりやる。
そのうえで、今、社会で何が起きているのかをしっかり見つめる。
それから、自分がわくわくするような、楽しそうなことに挑戦するのがいいんじゃないかなと思います。
今までの固定観念を蹴り飛ばすのにちょうどいいタイミングだから。

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