AIは脅威なのだろうか【後編】AIはヒトをどこへ連れて行くだろう

こんにちは。新潟市の、トマト行政書士事務所の菊地です。

AIについていろいろ考えて好き勝手書く記事の3回目。

今日は、AIが出現すると人間ってどうなるのかな、ということを考えてみたいと思います。

携帯やスマホで、こんな世の中になるとは思っていなかった

私が最初に触ったPCは、EPSONのPC-98だったか、FujitsuのWin3.1だったか…つまりMS-DOSですな…
どっちも間違いなく弄っていたのですが、どっちが先だったか忘れました。
当時は、パソコンっていうと、大きな四角いベージュ色(きれいな色ではない)の箱でした。

携帯もありました。いわゆるガラケーです。

でもまさか、この両者がくっついて、しかもこんなにコンピュータとして性能がいいものができるなんて、当時は思っていませんでした。
当時のPCよりも今のスマホのほうがずっと高性能です。
信じられません。

携帯電話ができる前の世の中では、こんな世の中になるなんて、想像していませんでした。
単純に、「どこでも連絡が取れるなんて、便利になるなぁ」と思っていただけ。
ドラえもんやサンダーバード(あの人形知っていますか?)みたいな世界になると思っていました。

当時を思い出すと、家に帰った後まで、他人の目を気にする必要はありませんでした。
友人と連絡を取り合う必要は無かったし、返事しなきゃ!と焦る必要もなし。
帰宅後は私生活の時間です。
仕事の電話が帰宅後の固定電話にかかってくることなんて、一部の職業(医師とか警察官とか)を除いては、滅多に無いことでした。

今は、ずーっとずっとずーーーーーーーっと、コミュニケーションの時間です。
(私はそういう生活をしていませんが。)

昔は、友人と連絡を取り合うには、きちんと顔洗って着替えて外出して、日時場所をきめて待ち合わせをしたわけです。
それが今では、多少のやりとりならば、家のなかでだらだらパジャマを着たままLINEかMessengerでOKです。
布団の中で全世界に向けてTwitterで情報発信することもできます。
愚痴や井戸端会議ですら、きちんと着替えて外に出て(普段着とはいえ)行っていました。
今は、家に引きこもったままで、全世界に向けて家庭内のいざこざから何から、発信してしまえます。

昔から、公と私とか、個人と家族とか、そこらへんの境目があいまいな世の中ではありましたけれども、それでも昔は、「家の外と内側」というふうに、物理的に仕切られていたと思うのです。
今は、それがなくなったなぁ…公の場では言うべきではないことを、平気でやっちゃう人が多いのは、このせいじゃないのかしら、なんて思います。
そして、こんなふうに負の部分が現れるなんて、携帯やインターネット等が普及する前は、全く想像していませんでした。

ドラえもんの未来の世界や、サンダーバードには、スマホにかじりついて常に下を向いている人なんて、出てきませんでしたし。
(そもそもサンダーバードには、スマホ出てこないんですけどね。人形版ではなくて、CGのサンダーバードには、スマホじゃないけどそんなふうな道具が出てきますが。)
サンダーバードに出てくる人たちは、待ち時間はちゃんと、会話をしたり、外を見ていたりしていました。
ドラえもんの未来の世界の人たちは、いろいろな道具を使って「簡単に外出できる」ようにしていました。
小さなタブレットにかじりついているヒトなんて出てきませんでした。
のべつまくなしにスマホ覗きこんでる人が、こんなにたくさん出現する世の中なんて、誰も想像していなかったと思います。

スマホの出現で漢字がかけなくなった

スマホが出現したことで、私が「失ったのではないか」と思うものを列挙しましょう。

  1. 手書きの習慣(最近の学生はノートとるのすら、黒板やホワイトボードを写真でとる!)
  2. 漢字を書く能力
  3. 読書
  4. 想像力
  5. 一人の時間
  6. 自分で考えること
  7. 辞書
  8. 集中力

他にもたくさんありますが、書ききれません。

私は、手書きが好きなので、前にも書いたとおり手紙を万年筆で書き、そのときは必ず辞書も机に準備しておくのですが、そうでもしないとこうしたことを全くやらなくなりそうです。
そういう工夫をしていても、やはり、咄嗟に漢字が出てきにくくなりました。

家に帰った後、他人と連絡を取り続けるなんて、昔は思ってもみませんでした。
今は、どこにいても早く返事をする、反応を示すのが大事なようです。
(あんまりそういうことしていないですけどね、私は。)

興味のあることはすぐにネットで「情報」を調べるようになりました。
反面、読書をしなくなりました。
新聞にしても、読書にしても、自分の興味があることのほかに、幅広いさまざまなことが書いてあるから、毎日読むことで広い世の中を知ることができ、教養が身についたと思うのですが…
情報を調べるときって、基本的に自分が興味のあることしか調べませんので、それだけだと世の中が狭くなる気がします。

さて、最後に書いた「集中力」これが一番、大切なものだったかなと思います。
人間の脳はマルチタスクをずーっとしていると、IQが下がり、短期記憶にダメージを受け、セルフコントロール能力が下がるらしいです。
「ながらスマホ」なんて、マルチタスクの最たるものですよね。
さらに、「SNSのせいで他人への嫉妬が増幅する」「家に帰ってからもスマホを使い続ける人は仕事のストレスが回復されない」などなど。
現在のスマホの悪影響は様々にあります。
詳細が知りたい方は、ここらへんの記事とか、こんな記事を読むと、情報源となる論文へリンクがはってあるので、内容がよく分かってよろしいかな、と思われます。
私の中で一番の脅威は、「スマホは人間の共感能力を奪う」という記事でした。

人のありようが変わりつつあるかも

私は放送大学で、心理学を勉強しているのですが、「人格心理学」を履修していたらスマホによって人格のあり方が変わったか、という内容がありました。

結局、上の「集中力が分断される」「マルチタスク」にも関連するのですが。
何かの記事を読んで、感情が沸き起こっている最中に別の情報が来て、今度は悲しむ。
結婚のお知らせをもらって喜んでいる最中に、悲しいお知らせも来る。
今までは個人の部屋で自己内省していた時間から、電車で移動している時間まで、常に他者とコミュニケーションをとり続ける…

これらが、人格のありようを変えつつある、というものです(私が私の理解に従ってかなり省いて書きました、あしからず)。

カウンセリングというものを考えると、カウンセリングでは、カウンセリングとカウンセリングの合間は、原則としてカウンセラーに連絡をとらないのですね。
その間に、カウンセリングでの出来事がクライアントに内包され…つまりその人なりに消化されることで、より良い状態へつながっていく。

そう考えると、今のスマホって、一日の出来事をヒトに内包させる暇を与えず、ひっきりなしにさまざまな出来事に接し続けないといけないわけですから、人格のありようを変えるかもしれません。

でもこうしたことや、こうした影響は、携帯なりPCなりが出現する前の世界では、想像されていなかったことだろうと思います。
こんなにずーっとコミュニケーションをとり続けるなんて、スマホ出現前の時代に、予想していた人はおられるのでしょうか。

AIは人をどこへ連れて行くだろう

長くなりましたが、以上が、「スマホ」と人との話。

さて、AIです。
AIは、記憶や計算、ある程度の思考能力を持っています。
一方、好奇心や理解力は持っていません。
この存在が、人にどういう影響を与えるのか…。

「人間は考える葦である」と言ったのは誰でしたっけね。

まず、私が思うに、スマホによって漢字を忘れた人間ですが、AIの出現によって、今度は言葉を失うかもしれないなと思います。
完全に言葉を失ったら、AIとも意思疎通ができないので、それはないのですが。
ちょっと長い文章、例えば手紙やレポート、報告書なんかは、人間の代わりにAIが書くようになるのでしょ?
新聞記事だって、定型的なものであればAIが書きますよね。
今の段階で「定型的なもの」が書けるのであれば、そのうちに進歩して、もっと複雑なものが書けるようになるでしょう。

長い文章、「きちんとした」文章が書けなくなって、LINEやメッセンジャー、チャットのような短いやりとりしかできない人が増えるんじゃないかしら。
今は、短いフレーズならスマホが援助してくれます。でも長い文章となると、さすがに、自分で作らなければなりません。
ところがAIは、それっぽい長い記事を組み上げることができます。

人生の半ばで、AIが出現した人は、途中からそういう状態になるので、基本的には長文を書いたことがあるでしょう。
でも、「デジタルネイティブ」ならぬ「AIネイティブ」な子どもって、いったいどういうふうに育つでしょうか。

例えば。
個人のやりとりパターンを学習して、簡単なやりとりなら本人に代わって行うことができる人工知能をインターネット上に存在させるというサービスが出来上がりつつあるそうです。
こういうサービスができたら、そのうちに、私そっくりなネット上の私が、Facebookの書き込みなんかを代わりにやってくれるかもしれません。
そこから派生させて、例えば、子どもが家に帰ってきたら私っぽい声で「おかえり!」と子どもにいい、遊んでいたら「はやく勉強しなさい!!」とか言い出すかもしれません。
それって、どういう影響が出てくるのでしょう?
全く想像がつきません。

ただ、ヒトの人格というものを、何かしら、大きく変えてしまうんじゃないかと思うのです。

…とまぁ、私の妄想でした。
結局のところ、どういう影響があるかなんて、実際に出てみて、しばらくしてから調査しないと分からないのです。
今いえるのは、「どうなるか分からないんだけど影響があるのは間違いない!」といったところでしょう。

蛇足として、今の子どもの読解力低下より

現代の子どもは、読解力が低下しつつあって、知識はあっても問題文を理解できないからテストに答えられないという現象が増えつつあるとのこと。
どこかで聞いた話です。
中編で書いた、AIに東大受験させるプロジェクト(東ロボ君)の話ですね。

AIは、専門性の高い知識はデータとして豊富に持っています。
一方、「常識」ともいえるようなデータを持っていません。
例えば、魏の皇帝曹操の子は曹丕で、問題文にもそのとおりに書いてあったのに、「曹丕の父は誰ですか」と聞かれると答えられない…父って何なのか分からない。
このように、AIの理解のしかたと、ヒトの理解の仕方は異なっていて、ヒトは常識とか、文化といった膨大な知識をもとにさまざまなことをさまざまに理解していますが、AIの持つデータはあくまでもデータであり、利用方法の指向性が高すぎるのです(現段階では)。

ところが、今の子どもに、そんな状態が増えつつある。
対処として、教育者は、「読書より親子間の会話を増やしてください」と言っていますが…
これだけスマホ・インターネットが普及すれば、さもありなんという感じです。
今まで書いてきたとおり、(一般論ですが)今の子どもは昔に比べてヒトとの関係性を内包する暇を与えられず一日中連絡をとりあい、読書や新聞は「いらない情報が入っている無駄な行為」なので「必要な情報」だけをピンポイントで調べます。でも物事の理解に必要なのは、このそぎ落とされた無駄な部分が重要だったりするのです。

いわば、データとか情報といったもの以外の、雑多な部分が、ヒトをヒトとして成り立たせているのかもしれません。そうした部分があってこその、「読解力」なのでしょう。

スマホで検索するのは、自分が興味のあること・知っていることだけです。
情報を得ることはできるかもしれないけれど、世の中には自分の知らない広い世界があることを知るのは難しいのです。
AIに可能なことは、指向性の高い情報を、「知能」をつかって操ることです。
だから、その指向性からそれた情報は、AIには使えません。
ゆえに、AIには読解力はありません。
そうしてみると、ヒトの重要な能力は、「好奇心」「読解力」なのだろうと考えられます。
その背景に必要なのは、近年の「合理化」でそぎ落とされた行為ではないでしょうか。
コミュニケーション不足が共感性を失わされるのではなく、コミュニケーションとコミュニケーションの合間の孤独な時間が共感性を生み出すのです(あんまりコミュニケーション不足になるとそれはそれで共感性を失わせるわけですが)。

以上、長い3回連続のAIにまつわる妄想にお付き合いいただいて、ありがとうございました。
…最後まで読んだ方、おられますか?
「行政書士業務がAIに奪われる!やばーい!!」みたいな記事を期待していた方は、ごめんなさいね。

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