2度目の単位認定試験が終った

前回の試験を教訓に、今回は1つの科目に集中せず

1月下旬、2度目の単位認定試験があった。
今回受けたのは4科目。
試験があった順に、「錯覚の科学」「乳幼児・児童の心理臨床」「心理学研究法」「中高年の心理臨床」だ。

前回の教訓を胸に、今回はほどほどに準備した。
前回は数学関連科目があったので、ついつい(楽しい)そちらに時間を割いてしまい、結果として他の科目の勉強時間が激減したというお粗末な話だった。
つまり、数学は得意だが、足し算・引き算は苦手なのだという……。
引き算、時間を使えば時間が減るということが分かっていない。
アホである。
2回連続でアホなことしないで良かった。

楽しい錯覚の科学

錯覚の科学というのは、とても楽しい講義だった。
もともと、錯覚というものが面白くて好きでしょうがない。
だまし絵、トリックアートは大好きで、新潟にもトリックアートミュージアム(SOWA美術館)があるけれど、すごく楽しい。

TVの講義だが、講義の最中も錯覚を利用した映像がたくさん出てきた。
単純に、とっても面白かった。
ゆーっくりと変化していく画像の変化に気がつくかどうか、とかね。
「錯覚シアター」といって、いろいろな錯覚の紹介だとか。

講義の受け売りになるけれど、錯覚というのは、決して脳の機能が劣るわけじゃない。
脳は脳なりに努力した結果、どうしても錯覚が生じてしまうのだ。
人間、全部の情報を全力で処理していたら、脳がすごく疲れるし速度が追いつかない。
野生であれば、即座に判断しなければ猛獣に襲われて食べられてしまうかもしれない。
だから、少ない情報でいろんなことを推測する。
その結果が錯覚だ。

必死に無駄を省くというところが、そそられるポイントだ(私だけかも?)。
なんとなく、数学チックなにおいがする。
数学というのは、「1分の処理を省くために10年間考える」ようなところがある。
そこが、私が数学大好きなポイントの1つだ。
その努力の結果、1分処理が短くなって、しかも式は美しい…いいよね。
うっとりである。

錯視の絵も美しい。
余計な欲得考えない努力の結晶は美しいように思う。

もちろん、美しいばかりじゃなくて、先日書いた心理学とラベリングのような話もある。
一概に楽しいばかりじゃない。
錯覚があるために、思考回路に偏りが出る。

「錯覚の科学」の講義は楽しかったし、きっと試験は○Aじゃないかなーと思っている。
まだ成績発表になっていないけど。
楽しいことはいいことだ。
楽観的と自信過剰は、多少ならば健康的なのだ(講義の受け売り)。

※○Aというのは、成績で、Aよりも上。つまり最上級っていうこと。多少の楽観は健康的だからいいのだ。

おちびを思い起こしつつ、乳幼児・児童の心理臨床

乳幼児・児童の心理臨床は、何せ我が家にはおちび(4歳)がいるので、とても興味深かった。
小学校に上がるころの心理のこととか、不登校のこと、虐待のことなども学習。
あと、障がいについても。

学習内容としては、平均的な発達をしている子どもについてだけでなく、この時期に抱えがちな問題等についても学習するわけだから、どうしても平均的な発達以外の知識と学習時間が多くなる。
問題は多様だから。
(平均的な発達も多様なんだけど。)

講義は、特におちびを想起させる内容があると、ウンウンとうなずいて、楽しかった。
講義なので、たとえば「育児の方法!」「こういうふうに躾けるといい!!」なんていう具体的な内容ではない。
あくまでも基本的な理論、考え方だ。
なんでもそうだけど、具体的すぎる知識を得ても、応用ができない。
巷に流れる育児論(特に親戚その他が口を出すのとか…)ってそういうのがとても多いと思う。
「育児の方法」として、具体的な内容だけを教えられて、そのとおりに実行しても、子どもが思うように反応を示さない……そういうときにどうしていいかがわからない。
だいたい、その具体的な知識が、実際とはずれていたり、誤ったりしていることも多い。

何せ、家庭に子供がいて、大人に成長すれば、育てた親は育児経験者となるわけだから。
口を出したがる経験者が、世の中にはいっぱいいらっしゃるわけだ。
そのやり方が、自分の家の子供だけに通用する場合もあれば、一般的な方法である場合もある。
でもそんなのわからないよね、自分の家の子ども育てただけなんだから。
とはいえ、口を出したがるよね。

口を出されたときに、そのとおりにすべきかどうか、判断するのは自分だ。
いくら「こういうふうにするとうまくいく!」とテレビで言っていようが、新聞に書いてあろうが、それが正しいとは限らないのだ。
メディアに載っているイコール正解、と考えてしまう人は、いまだに多いけれど。
同じように、知っている育児経験者が教えてくれることを信じて従う人も多い。

そこらへんをもっとやわらかーく考えるためには、講義を受けてよかったんじゃないかと思う。
基礎となる知識は、それそのものは役に立たないが、大切なのである。
1+1=2は、それだけだと役に立たないが、これを知らないとお金の勘定もできない。
それと同じことだ。
はてさて、…成績は、どうかなぁ…Bぐらいじゃないかなぁ。

心理学は実験の世界だ!…で、心理学研究法

心理学は実験がとても大切だ。

その昔、心理学が哲学と袂を分かったとき、心理学実験室というものを設立したという。
机の上で理論を考える哲学との大きな違いは、心理学というものは実験を背景に考えることだ。

ゆえに、実験結果が予想と大きく違うこともある。

その、心理学の実験方法についてだけではなくて、統計のとりかたとか、サンプルのとりかたなんかを中心に勉強していくのが、心理学研究法。
それぞれのやり方によるメリットデメリットや、背景などが細かく説明されている。

大事なのはわかるが、面白いとは思えない講義だ。
でも大事だ。
だって、この講義で習うことを知らなければ、せっかく実験しても、意味がわからないんだから。
大事だということはよくわかる。
わかるんだけどやっぱり、研究法そのものを勉強するのは面白くない…。
研究法そのものは、どうしたって頭に詰め込んで覚えることになる。
これが、実際に実験をしつつ覚えていくなら、もうちょっと面白いんだろうなぁ。

でも、大事なものだと念頭に置きつつ勉強したし、この講義は教科書とノートなどを持ち込み可能な講義だったので、○A取れたんじゃないかなと思う。
きっと…。
このブログ上では実際の成績発表なんてしないから、自信過剰だろうがなんだろうが好きに書けるよね。

危機を迎えるワタシと、中高年の心理臨床

最後に、中高年の心理臨床。

この講義、私だけでなく、知人の方も受けていた。
放送大学で知り合った人ではなくて、仕事関連で知り合った人である。
たまたま「錯覚の科学」のときに試験会場で見かけ、お互いに放送大学生だと知ったわけだ。
ほかに何の講義をとったかという話になったときに、二人とも受けていたのが、「中高年の心理臨床」だった。

その方は、私より少し年上。
たぶん。

双方共通の、この講義の感想は、「身につまされる!」

そう、現在の自分から、少し先、ずっと先の自分の姿じゃないかと思う様子を勉強していくので、身につまされるのである。

私でいくと、ただいま39歳、もうすぐ40歳。
そろそろ中年、「人生の正午」だそうな(ユング)。
人生を1日にたとえると折り返し地点ということだそうで…
これからは、身体的にも精神的にも、老いてくる。
衰えてくる。
40~45歳に、人生半ばの過渡期を迎える人もいる(レヴィンソン)。
この人生半ばの過渡期は、成人への過渡期や老年期への過渡期と比べてけっこう急激らしい。
また、上記は男性メインで得られた結果であり、女性は出産等があるためもうちょっと複雑らしい(35歳ぐらいから、とか…)。

とはいえ。
人生半ばの過渡期。
今じゃないか。
人生の転換期であり、危機だそうです。
しかも、人生最大の危機が、人生半ばの過渡期だという…。
おーまいがっ!

いや、振り返ってみると、もしかしたら人生半ばの過渡期、私は終わっちゃったのかもしれないけど…。

…そして講義が進むにつれ、中高年から老年期に関する内容となり、見えてくる今後のわが人生の展望。
老年期の様相。
最後に迎える死。
死の考え方、デス・エデュケーション。

講義の内容がダイレクトに自分に直結するという、ある意味恐ろしい講義だった。
あー面白かった!
面白かったし、よく勉強もしたと思うけれど、試験は思ったより芳しくなくて、Bか、もしくはCかなぁ…。
予想だにしていなかった部分を問う問題が出て、思ったより難しい試験だった。

大学の講義について思うこと

大学の講義って、全般的に、基礎理論であり、いわばその分野の常識を習うものだと思う。

こうして理論を勉強していると、世の中にあふれる情報は、あまりに結果を急いで求めすぎるから、具体的過ぎて実際に自分に当てはまるかどうか分からない方法論が多い。
基礎理論的な、根本となる考え方は、それだけじゃ役に立たないからすっ飛ばして考えるというわけだ。
当てはまるかどうか分からないのに無理やり当てはめて考えるから、効果がなかったり、逆効果になったり、それほどの効果がないはずなのに万能な方法かのように思い込みすぎたりする。

一見遠回りかもしれないけれど、何か勉強するときに、具体的な方法論を勉強するだけじゃなくて、その分野の常識をしっかり知っておくことは大事なんじゃないかな、と。

そういえば、こないだ事務所にもそんな電話がかかってきたな。
「ちょっと教えてください!!」って、全然知らない人からのお電話。
そもそも名乗りもしない電話である。
「遺言って、書けば、兄弟には遺産がいかないんですか?」
…えっと、お子様がいるかいないか、親御さんがいるかいないかによって状況が変わります。
「細かいことはいいんです、だいたいでいいから教えてください!」
ご家族のことを教えてくださらないと…
「親ときょうだいがいます。妹に遺産をやりたくないんです!」
でしたら、通常は、きょうだいに遺留分はありませんから、遺言書を書くことで、相続財産を分けないようにすることも可能ですが、一度ご相談にいらっしゃいませんか。ケースバイケースで…
「そうですか、分かりました!だいたいでいいから、別にいいんですッ!!」
ガチャン。
…話の途中で電話を切られてしまった。
だいたいでいいのなら、何のために電話してきたのかな?
だいたいでいいのなら、自分の好きなように妄想するだけでいいんじゃないかな。
正確にきちんとするのが専門家なんだからね。
なんでもそうなんだけど、きちんと基本になることから積み上げていかないと、当てはまる・当てはまらないが分からない。
そこが分からないと、遺言だけでいいのかどうかも分からなくなる。
「遺言をかけばきょうだいに相続財産をやらずに済む」っていうのは、あくまでも情報の一部分に過ぎない。そもそも有効な遺言書を作るのがどんなに難しいことか。

…と、話がそれましたゴメンナサイ。

そんなことを書きつつ、ただいま放送大学で集中講義。
心理学実験だ。
(今は昼休み。)
やっぱり楽しいよね、目の錯覚なんかを起こしたりして。
どうも心理学実験っていうと、映画にもなったミルグラムのかの実験が有名すぎるのか、恐ろしいことをするように思われがちなようだけど、実際の実験はあんなのありません。
少なくとも、大学レベルではあんな実験しないと思う。
だいたい、倫理的に、現代あのような実験はできないはずだけどな。
いろいろと見て覚えるとか、画像をちょっと変えると覚える個数が変化するかどうかとか、目の錯覚の持続時間をはかるとか、そんな実験をしてレポート提出。
ほかにもいろいろあるけれど、ごく平和な実験だ。

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