そとがわについて

tomato「トマトのそとがわ」を初めて見た人、疑問に思った人、より詳しい何かを知りたい人のために情報をまとめたページを作ってみました。
よくきかれるご質問のほか、こちらからお伝えしておきたいことなどを掲載しています。

「トマトのそとがわ」について

「トマトのそとがわ」とは

トマト行政書士事務所とトマトノタネ(どちらも代表は菊地美奈子です)が主宰するウェブサイトです。
業務のこと、営業時間内に思ったこと、研修のことなどは、事務所のページや各専門サイトに掲載していますが、それ以外のことを書く場所です。

今までは、アメブロに「それ以外のこと」を書いていたのですが、こちらにお引越ししてきました。

なるべく楽しい場所にしたいなぁ、と思っています。
そんなわけで副題が「がんばらない時間」です。
仕事中はどうしても、がんばってやらないといけないので、がんばらない時間のことを書いてみるのも面白いんじゃないかな、と思ったわけです。

仕事のことは書かないのですか?

狭い意味での仕事のことは、勉強したことも含め、こちらには書きません。

仕事について勉強したことは、各業務サイトに書きます。
ご依頼いただいた内容については、そもそも、ブログに書くのはどうかと思いますので、もともと書いていません。

怒涛の勢いで駄目な方向へ突っ走る日の記録「ある行政書士の一日」には、仕事の内容が分からない範囲で書くかな、と。

お問合せのこと

お問合せページからメールを送るとどうなりますか?

お問合せページから送信されたメールは、菊地美奈子に届きます。
メールは幣所にて管理することになります。

他の事務所ページのお問合せフォームから送られるメールと、この「トマトのそとがわ」のお問合せとでは、お取扱が違います
お送りいただいたメールの一部や全部について、ここのコンテンツに掲載することがあります。また、お問合せいただいた内容へのお返事が必要な場合は、原則として、コンテンツ内でお返事いたします。
他の事務所ページは、行政書士として、守秘義務があるという観点から、このようなことをいたしませんが、「そとがわ」においてはそのようなお取扱をしますのでご了承ください。

なお、お送りいただいたメールにつきましては、一定期間保管した後で、破棄いたします。

TOPICSそれぞれの見方について

ある行政書士の一日

ぶたの日

たまに、うちの事務所には「ぶたの日」が訪れます。

ぶたの日とはつまり、何をやっても駄目な日のことです。
駄目なだけでは済みません。何をやっても駄目で、へとへとに疲れているところに、どんどんいろいろな出来事が降りかかってきます。

例えば…朝、おちびが「かゆい!」と泣きます。見ればお肌にぷつぷつがあって、あわてて仕事のスケジュールを調整して保育園に遅刻する旨電話し、小児科へ。出てきた診断は「乾燥肌」。乾燥肌……。脱力。とりあえず保育園へ連れていき、私は事務所で仕事。
ほんの1時間後に保育園から電話。「おちびちゃんが吐いたのでお迎えにきてください!!」再び小児科へ連れて行くと、「うーん、元気だなぁ…」とお医者さん。おちびが言うには、「給食、お口にたくさん入れすぎてね、げぼってなったの」……大きく、脱力。そしてこの、おちびに関するあれこれの隙間に、肩の筋を傷めたり、いろいろな日頃は起こらないような出来事が降りかかってくるのです。

備忘録

ぶたの日を記録したある行政書士の一日は、アメブロのときから一番人気で、反響が大きかったものです。それをそのまま、こちらでも継続します。

だいたい1~2ヶ月に1度発生します。なんでかなぁ…。

こどものはなし

最高!

以前、インタビューを受けて答えたことがありましたが、私はうちの子(おちび)のことを、とてもいい子で育てやすい子だと思っていました。
更に言うと、美人でかわいくて賢くて気が利きます。最高!
つまり、最高レベルの親バカです。
重症です。

だから、「育てにくい子チェック」なるものをとあるウェブサイトで発見し、10個のチェック中8個も当てはまり、「ものすごく育てにくい子」という結果が出たときの衝撃といったら、もう…。

そのチェックの結果に対して、私が思ったことは以下のとおりです。
「このチェックリストを作った奴は分かってないなぁ、うちの子育てやすいのに。」

衝撃!

その育てやすいおちびと一緒に暮らしていると、衝撃的な出来事が発生します。
その出来事をつづっただけの項目が「こどものはなし」です。

そこにこどもが居るだけで面白いのだから、特にひねることもないでしょう。
衝撃のおすそ分けをどうぞ。

Facebookに(事務所アカウントではなく個人アカウントで)書いていることと、内容が重複すると思います。Facebookは、記録しておくことができないので、こちらにも書いておく次第です。

その本を読むわけ

本って何だろう?

本とは何だろう。

子どもの頃から、本が好きで、学生時代は1日2~3冊読むこともよくありました。今でも、月に10冊は読むように心がけているけれど、仕事にまつわる本が多くなってしまい、純粋に個人的な興味で読む本は月に1冊もあればいいところかなぁ………

……などと考えていたときに、ふと、思ったのです。

本とは何だろう。

紙に印刷され、製本されたものだけ本と呼ぶ時代ではないでしょう。電子書籍も私にとっては本です。
電子書籍が本であるならば、文字を使った情報媒体が本だと仮定できるかもしれません。とすると、もしかしたらFacebook(bookだし!)だって、Webサイトだって、本と言えるかもしれません。青空文庫なんていうものもあるぐらいです。
各種存在するまとめサイト、あれも十分に本の一種かもしれません。
本とはなんだろうということについて、どんどん定義を細かく考えていくとキリが無いので、ここに書くのはこの程度でやめますが(実際には何日もあれこれ考えてコレモ本カモシレナイナァと妄想して楽しんだわけですが)、結論としては、本を外形から定義するのは難しそうだな、と。
Webサイトが本だとするならば、音声ブラウザでその「本」を読めば文字ではなく音声だって「本」かもしれません。そもそも音読という言葉があるぐらい、本と音声は近い存在なのです。そう考えると、にこだわることもなさそうだし……というぐあいに、どうにも定義できないのです。何を本とするのか、その外形で定めようとすればするほど拡張していきます。
宇宙みたいに。

だから、本とは何かを定義するのは数日で諦めました。妄想して楽しかったですけど。

私にとって、読書とは何だろう?

本について諦めたあとで、読書とは何だろう…ということを、私にとっての役割から考えてみました。役割です。外形ではなくて。
さて、読書するときに期待するものは何か。
情報を得る…だけではありません。情報を得るために本をめくるのは、「調べ物」なんていう言い方をします。「情報を得るために読書する」とは、言わないなぁ。
少なくとも、私の中では、読書っていうことばを使うときは、情報を得るという目的ではなくて、他の世界を覗くのに近いです。

ただの知識、情報ではなくて、もっと体系だった知識や、背景を含めた情報。
世界とも言うべきもの、といえばいいでしょうか。
情報が点なら、読書は面を期待して行うもの。
点がたくさんあっても、あるいは点と点を結ぶ線が見つかったとしても、面があるに越したことはないよなぁと思うのです。
新たな面を自分の脳内に取り入れるために行うのが、読書。同じ2点を結ぶにしても、線よりも面のほうが、いろんな結び方を作ることができます。面ならば、くねくねした線も書けるし、直線も、曲線も自由に書けます。その自由度が、頭の回転のよさとか、知性とか教養とかにつながっていくのだろうと思います。
面と面であれば、線で交差することも可能です。でも情報(点)と情報(点)は、自分で考えて線を引かないとだめ。なかなか、完全オリジナル独自路線で線を引くのは、難しいです。

だから理由と結論だけを書こう

さて、ここで本を紹介しようかなと思ったわけですが。
ここでは、いわゆる書評を書くのはやめることにしました。

第一に、書評とは、主に本の要約とデータ、それから読後感想、批評、といったことが書かれるものなわけですが。私にとっては、これらを書くことで知識をしっかりと脳に定着させるという意味があるかもしれないけれど、読む側としては、絶対に、要約を読む暇があったらその本を読んだほうがいい。要約なんて、情報(点)にすらなりません。
第二に、書評は世の中にあふれています。私の書評を読むよりも、あふれる世の中の書評を読んだらいいのではないか。

それよりも、その本に何を期待して読書して、結果その期待はどうなったのかという結論を書いたほうが、いいんじゃないかなと思ったのです。私の脳にどんな面が生まれて、それはどんなふうにその後の生活に影響が出たのか、あるいは良い影響が出そうなのか。
本の中身そのものについてはぜひ、その本を読んでみてください。読書は化学反応みたいなもので、読む人の脳の中にどんな面が既にあるのかによって、交差する線の長さや形状が違ってくるでしょう。

世の中にはいろんな本があふれています。たくさんの本があります。同じような本もたくさんあります。その中でなぜその本を読んだのか、そしてその結果どうなったのか。自分にとっての、その本が起こした反応をただ記すのが、この「その本を読んだわけ」なのです。

今日の発見!

毎日は発見で満ちているはずだけど

我が家のおちびを見ていると、毎日なにかしら発見しています。
そうだよなぁ、そうなのだよ。
私も何かしら、毎日発見しているはずですが、子どもの頃のように喜ぶことは減りました。

そんな私も、たまにですが、そうだったのか!と思って一人喜ぶことがあります。

一人で喜んでいてももったいないので、ここでおすそ分けする次第です。

勉強のお勉強

おとなの勉強方法を考えた記録

常々、勉強しないといかんと思っているのです。

本文にも同じようなことを書いただろうと思うのですが、子どもは身体的な物理的な成長とともにできることがどんどん増えて、勝手に成長していきます。
でもおとなになって、ある程度の年齢になれば、それ以上機能は増えず、かえって衰えるのです。年を重ねた分、成長するには、意識して自ら伸びるようにしないと。

だいたい、上には子どもが「勝手に成長していきます」と書いたけれども、子どもは子どもなりに努力しています。学校へ行って、毎日何時間も、面白かろうとつまらなかろうと関係なく勉強します。テストを受けます。運動します。
学校が終わったあとも、塾だの、何チャラスクールだのへ行って、勉強したり運動したり、楽器を習ったりするのです。
テレビを見たって、子どもにとっては未知の世界が多いですから、そこには何か学ぶものもあるでしょう。
一方おとなは、身体的・物理的な成長が止まったにも関わらず、仕事だの何だので忙しくして、成長への努力を怠っているケースが多いでしょう。
経験なんていうのはたかが知れています。結果、おとなは成長がストップしてしまう…これはもう、意識して自分から動かない以上、しかたがありません。

しかしながら。おとなは忙しいのです。
仕事で忙しい。
仕事以外でも忙しい。
育児でも、忙しい。

この「忙しい」というよくあるみっともない言い訳を口にせず、おとながきちんと勉強するにはどうしたらいいものだろうかと考えて、勉強について勉強したのが「勉強のお勉強」です。

台所生活 β版

常に進化する台所生活

…という意味で「β版」にしたのではありますが、発展途上だという程度の意味です。
ガツガツガンガン進化させつづけるというエッジの効いた内容にはなりません。

私は仕事しているときは机に向かっていまして、勉強しているときも机です。

それじゃそれ以外のときはどこに居る時間が多いかというと…まずは布団の中、ベッドの上です。つまりは睡眠時間。
人生の約3分の1は布団の中にいるわけですからね。
もしかしたら机に向かっているより多いかもしれません。
私の仕事は意外と、机と同じぐらい、依頼者に向かって話をしている時間も長いので。

その次に長いのはどこだろうかというと、もう間違いなく、台所にいる時間。

我が家は食卓も台所にありまして、煮物しながら、食卓のテーブルにノートパソコン開いて、仕事していることもあります。あるいは、ノートや本を開いて、勉強したり。
するとおちびが台所にオモチャを持ち込み、「おそろいだね!」と言いつつおままごとの包丁を振り回すという…。

あ、私は包丁振り回したりしませんよ。もちろん。

おいしいご飯でお腹いっぱいならあまり悪いことしないと思う

人は、おいしいご飯でお腹いっぱいなら、あんまり悪いことしないんじゃないかな、と思っているのです。

「あんまり」というのは、つまり、お腹いっぱいでも悪いことをする人もいることも知っているという意味です。

それから、「おいしいご飯」というのもけっこう重要でして、ご飯とは言えない何かでお腹がイッパイだと悪いことするんだよなぁ、という意味です。

なるべくうちのおちびが悪く育たないように、おいしいご飯(だといいなぁ)を作りつつ思うことを書いていこうかなと思います。

大学生(2度目)

心理学を勉強したくて放送大学へ

2016年4月、放送大学に入りまして、勉強することにしました。

といっても、卒業を目指しているわけではありません。
まずは認定心理士を目指そうと思っていて、既に一度大学を卒業しているので(新潟大学を…)、それに必要な分、単位を修得しようと思っています。

というのも、私の仕事では「離婚」を扱っているのですが、もっと相談したいというご要望を頂いていました。精神面のフォローを求められたわけです。
最初は、カウンセラーさんがいいのではないかとお勧めしたわけですけれども、どうも、ぴんとのずれたアドバイスというか…法的に無理なことをお勧めされるケースがあるみたいで(直接お話を聞いたわけじゃないので断定はできないのですが)、ごく一部の人は、私のところへ戻ってきてしまうのです。
とはいえ、何か手続きするわけでもないから、私もそれ以上相談を受け付けるわけにもいかない。困ってしまいました。

考えたのですが、まず、カウンセリングの勉強をしました。
2016年のうちにはカウンセリングも業務として始めたいと思っています。

でも、カウンセリングだけを勉強するのではなく、もっと背景となる理論等もしっかり勉強しておきたいと思いまして、放送大学で、心理学を勉強することにしました。

女子大生!

なんと。
学割使えるらしいです(だって大学生だ!)。
私も女子大生です。
学生証もあるらしいです。

女子の大学生だから間違いなく女子大生なのですが、あらためて女子大生というと、いいですね。なんとなくときめきます。
以前大学生だったときは、理学部だったので、ほんのりと薬品のにおいが漂う暗い校舎にいました。たまに人文学部の校舎へ講義を受けにいくと、ほんのりと香水のにおいがして(女子大生が多いので)、ときめいたのを思い出します。

ちなみに、女子と言う言葉については、以前アメブロにも書いたけど、念のため引用。

「女子会」とか、「女子」という単語について、なにやらもの申したいという人が大勢いらっしゃるようである。
「いい年して云々」ということのようだ。

念のために申し上げると、ここでいう「女子」の「子」は若いとか子どもという意味ではない。
「女子」に限らず「男子」という言葉も、年齢に関わりなく使われる。
「男子の本懐」とか「男子厨房に入らず」なんていう言葉のとおり。
かなりご高齢の男性であってもこのような言葉を使うし、そうおっしゃったからといって「いい年して男子などと…気分だけ若いつもりか…」とは言われない。
「子」は、接尾語で、「人」といった程度の意味で、ほんのりと尊敬の念が漂う。
ただ「女」と書くよりも漢文調の重々しさと敬う気持ちが要るときに、「女子」と書いたと思われる。

だから、「大人なのに女子とは云々」という批判を耳にすると、違和感を覚える。

とはいえ、最近の「女子」という言葉の使われ方は、あまり重さとは関係が無い。
「●●女子」という言葉は、「××メン」と並んで、なんでもかんでも「女子」ってつけりゃいい、「メン」と言っておけば間違いないという、思考停止のにおいが漂っていてどうも気味が悪い。
たとえば「大人女子」などは、何が言いたいのか私には分からない。
どういう人をあらわしたいのか、理解できない。
分かりにくいし、粋でもないし、この言葉を作った人は何がしたかったのだろう。

そこへ行くと、「女子会」というのは、他に適当な単語が無いこともあるし、会の実態をよくあらわしているものであるし、分かりやすい言葉だなぁと思う。

さぁ、学問学問!

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